藤重佳久のwikiプロフィールや経歴!家族は?結婚して妻や子供はいるの?
今回は藤重佳久(ふじしげよしひさ)さんという一見普通の音楽教師に見える方をチェックします。これから紹介しますが、藤重佳久さんはものすごい経歴の持ち主なんですよ!
写真からは想像もできないですが…w
藤重佳久さんのwikiプロフィールや、すごすぎる経歴、出身高校や大学などの学歴、家族は?結婚して嫁や子供はいるの?などについてまとめていますので、ぜひ最後までご覧ください!
藤重佳久のwikiプロフィール
名前 | 藤重佳久(ふじしげよしひさ) |
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出身 | 福岡県久留米市 |
生年月日 | 1956年生まれ |
年齢 | 62歳or61歳(2018年現在) |
学歴 | 福岡大学附属大濠高等学校 武蔵野音楽大学音楽学部器楽科 |
主な経歴 | 活水女子大学音楽学部特任教授 全日本吹奏楽コンクール 出場20回 (金賞10回/銀賞9回) 全日本マーチングコンテスト 出場16回(すべて金賞) 海外大会 世界一 2009年 文部科学大臣優秀教育表彰 |
学歴は?出身高校や大学はどこ?
藤重佳久さんは1956年に福岡県久留米市で生まれました。年齢に関しては詳しい生年月日がわからなかったので不明なのですが、1956年生まれということはわかったので、現在の年齢は62歳or61歳(2018年現在)です。
高校は地元にある「福岡大学附属大濠高等学校」を卒業しています。この高校は現在は男女共学になっていますが、昔は男子校でした。
大学は「武蔵野音楽大学音楽学部器楽科」に進んでいます。
これまでの凄すぎる経歴とは?
藤重佳久さんは中学校の頃から吹奏楽部に所属していました。今となっては吹奏楽部の敏腕監督として有名ですが、そのルーツは高校1年生の時に出場した「全日本吹奏楽コンクール」だったそうです。
「福岡大学附属大濠高等学校」に入学した藤重佳久さんは吹奏楽部に入部。ホルンを担当していて、曲を完成させるまで必死に練習を積んだんだとか。
そして「全日本吹奏楽コンクール」に出場した時の自分たちの演奏に感動した藤重佳久さんは、その時に「音楽で生きていこう!」と決意したそうです。
その決意の表れでしょうか?大学は「武蔵野音楽大学音楽学部器楽科」に入学。そして、この大学で腕を磨いた藤重佳久さんは、卒業後に「東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団」でホルン奏者となります。
「音楽で生きていく!」という夢を叶えた瞬間ですね!当時はさぞ嬉しかったでしょう。
しかし、ここで問題が…演奏依頼も多く順風満帆に見られたそうですが、当の本人は“英才教育を受けたプロの奏者”と渡り合うのに必死で、プレッシャーに押しつぶされそうだったんだとか。
音楽といえば、両親がプロの音楽家だとか、幼い頃から音楽の指導を受けているという人が多いもの。
有名な音楽家である「モーツァルト」は父親が音楽家で、生まれた頃から様々な楽器が家中にあるような環境。そして、3歳の頃から「クラビコード」というピアノみたいなものを弾いて遊んでいたそうです!
私には理由がわかりませんが、やっぱり音楽で有名になろうと思ったら物心がつく前から音楽に触れていないとダメなんですね〜。全員が全員そうではないと思うのですが。
でも、そんな風に“英才教育を受けたプロの奏者”と渡りあえるのか?という不安を、藤重佳久さんが抱えていた時に転機が訪れます。
それは….
「精華女子を吹奏楽で盛り上げないか」
との高校時代の指導者からの誘いだったんです。
これを聞いた藤重佳久さんは「これなら音楽を続けられる!」と思ったんだとか。でも、高校で吹奏楽部を指導するには教員免許が必要ですよね…そのことを忘れてはいないかい?藤重佳久さん….
と思いきや、なんと藤重佳久さんは大学で教員免許を取得しちゃってたんですよ!しかも、「なんとなく」という理由で取得してたらしいですwww
なんとも言えない感じですが、この誘いを受けた藤重佳久さんは1979年から福岡県にある「精華女子高等学校」の音楽教諭として赴任しました。
これが藤重佳久さんの始まりです。「精華女子高等学校」に赴任して吹奏楽部の顧問になった藤重佳久さんは
全日本吹奏楽コンクール 出場20回 (金賞10回/銀賞9回)
全日本マーチングコンテスト 出場16回(すべて金賞)
などなど輝かしい成績を残して「精華女子高等学校 吹奏楽部」を全国に知らしめました。しかし、吹奏楽部の顧問に就任した当初は部員が5人しかいなかったそうですよ!
今の「精華女子高等学校 吹奏楽部」からは想像もできませんね…やはり相当な敏腕監督のようですね〜藤重佳久さんは。ただ、最初から全てうまくいったのではないみたいですよ。
いろんなコーチング論とかを学びながら、失敗を繰り返して、今の成功までたどり着いたんですって。中でも藤重佳久さんを変えたのが「わかりやすく楽しく、目標を共有する」というアメリカの高校生を対象に発展したマーチング指導論なんだとか。
この指導論を取り入れてから、生徒も少しずつ変わっていき、1990年に初めて全日本吹奏楽コンクールに出場を果たしたそうですよ!
やはり、大きな成功の下には数々の失敗があるんですね。藤重佳久さんの音楽への情熱や生徒への思い、努力に脱帽です。
家族は?結婚して妻や子供はいるの?
そんな藤重佳久さんの家族について調べてみたのですが、結婚して奥さんがいるそうです!名前や顔写真などについても調べてみたのですが、そこまで公表していないみたいですね。
あと、子供についての情報も公開していないみたいです。藤重佳久さんは有名人だから、子供の影響とかを考えるて公開していないのかもしれないですね〜。
ちなみに、藤重佳久さんは今は「精華女子高等学校」の吹奏楽部監督を引退して「活水高等学校・中学校」という学校の吹奏楽部監督をしています!
そのことについては下記の記事にまとめていますので、興味のある方はご覧ください〜。