漆紫穂子のwikiや経歴、学歴について!結婚して夫や子供はいるの?
漆紫穂子さんは品川女子学院の校長を務めている方です。品川女子学院は一時期「1学年5人の新入生しかいない」などという状況に陥ったことがあり、低迷していました。しかし、校長である漆紫穂子さんはそんな状況のもめげずに、数年後には入学願書がのべ1800名も集められるようになりました。
この改革は「奇跡の改革」と称えられ、教育界だけにとどまらず、様々な業界から漆紫穂子さんへ注目が集まっています。今回はそんな漆紫穂子さんのwikiや経歴/学歴、結婚して夫はいるのか、子供はいるのかなどについてチェックしていきます!
漆紫穂子さんのwikiプロフィール
名前 | 漆 紫穂子(うるししほこ) |
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出身 | 東京都 |
生年月日 | 1961年生まれ |
年齢 | 57歳 |
学歴 | 中央大学文学部卒業 早稲田大学国語国文学専攻科修了 |
主な経歴 | 学校法人調布学園 教員 品川女子学院 校長 |
漆紫穂子さんの経歴や学歴
漆紫穂子さんは1961年に東京都で生まれました。現在、校長を務めている品川女子学院は曾祖母が1925(大正14)年に設立した学校です。お母さんも品川女子学院の副校長を務めていた過去があり、生粋の教育家系のようです。なので、しつけがかなり厳しく幼少期にはこんな辛い経験をしたそうです。
両親が教員で長女というと、不幸の始まりという感じで、本当に厳しかったです。下町だったので、みんな学校が終わると遊んで、駄菓子屋さんで買い食いしたりしていたんです。でも、そういうのも私だけ禁止でした。家に帰ると、なぜか近所から通報が入っているんですね。それで、かき氷を初めて立ち食いした日に、やっぱり見つかって、「ちょっとそこに座りなさい。今日、誰と何をしてたか言いなさい」と言われて、「舌を出してみなさい」と。黒くなるじゃないですか、シロップで。その時は「ごめんなさい、もうしません」と謝って、それから、氷はミルクしか食べなくなりました。(笑)
「蓮舫対談 vol.1:漆 紫穂子さん」より引用
これはかなり辛いですねw 子供の時はねー、友達と一緒に駄菓子食べたいもんですよね。
そんな幼少期を過ごした漆紫穂子さんは中央大学文学部に進学し、卒業後は実家の品川女子学院ではなく学校法人調布学園で国語の教員になります。
それからしばらくして、品川女子学院が経営難で1学年5人の新入生しかいないという緊急事態に陥っていることを知り品川女子学院で教壇に立つことに。また、その時の校長がお父さんで副校長がお母さんだったのですが、病に倒れ余命半年宣告を受けてしまいます。そんな状況だったので、学校の再建にも携わる決意をしたそうです。
この時の品川女子学院は今よりも偏差値が20も低かったり、入学希望者が5人しかいないなど危機的状況。そんな時に品川女子学院に来た漆紫穂子さんは卒業生からこんな言葉を言われたそうです。
「卒業後、子育て、戦争、舅(しゅうと)の介護と日々の生活に追われ、初めて同窓会に出られたときは涙が出た。戦争で家が焼け、親兄弟もすでにこの世にいない。私の故郷はここしかない。どうか母校を守ってほしい」
女性自身:「第1回】わずか7年間で入学希望者60倍、偏差値20アップ!知られざる品川女子学院再建エピソード」より引用
これを聞いた漆紫穂子さんは「卒業生の母校を守りたい」との一心で改革に取り組んでいきます。まず行ったのが情報収集。成功している学校や同じような環境から改革に成功した方々を訪ね廻ったそうです。
出会った方々に勇気づけられることもありましたが、時には「もう手遅れ」などと言われることもあったそう。しかし、そんなことにもめげずに漆紫穂子さんは強い意志で改革を進めていきます。
戦後の名残で厳しいしつけを行っていた品川女子学院ですが、それが原因で変化していく時代への対応が遅れ、次第に志願者が減ってきたそうです。
そこで、漆紫穂子さん現場の教職員や生徒たちの話も取り入れ「校舎の建て替え」「校名の変更」「生徒が喜ぶデザインに制服も一新」など色んな改革を実行していきます。
そして、改革を始めてから7年後。品川女子学院の偏差値は20もアップし、入学志願者が2000人近くも集まるようになりました。5人から2000人ですよ…それもたった7年で…
漆紫穂子さんすごい!!!カッコ良いです!
しかし、その改革は決して簡単な道のりではなかったみたいで、インタビューではこのように答えています。
私たちも学校改革の過程で何度も失敗をしました。 しかし、そんなときも、目指すべき目標や価値観に向かってチャレンジし続けてきました。 そして、その挑戦が失敗して、生徒に謝罪する場面もありました。
「第1回】わずか7年間で入学希望者60倍、偏差値20アップ!知られざる品川女子学院再建エピソード」より引用
改革は決して簡単なものではなかったのですね…諦めないで頑張ることの大切さがこれでよくわかります。また、失敗した時に生徒に謝るというのがすごいですよね。多くの人は人の上に立つと自分の非を認めなくなるのに対して、漆紫穂子さん素直に自分の失敗を認めて謝罪するなんて…
そんな謙虚で素直な人だからこそ、この改革に成功したのでしょう。
そして、漆紫穂子さんは生徒によくこんな素晴らしい言葉をよく言っているそうです。
「やらない後悔よりやる後悔」「失敗のあるところにノウハウはたまっていく」のだから、「考える前にまず行動」とよく言っています。
「第1回】わずか7年間で入学希望者60倍、偏差値20アップ!知られざる品川女子学院再建エピソード」より引用
まさに!!!!って感じの言葉ですね!これが漆紫穂子さんの成功法則とでもいうのでしょうか…なんか私もこの記事を書いている間に漆紫穂子さんに教育されたような気がします…さすがは教育者w
漆紫穂子さんに夫や子供はいるのか?
漆紫穂子さんは24歳の時に結婚して夫がいます。今でも結婚生活は続いているようです。しかし、子供はいません。その理由について漆紫穂子さんはあるインタビューでこう答えています。
私は28歳で当校に赴任しました。そのあと副校長だった母を亡くし、学校改革に邁進してきました。44歳で校長になり、ノンストップで職務に没頭してきました。その上で、「後悔していることがあるか」といえば、「自分の子どもを持つことを選択肢のひとつとして考えてもみなかった」ということです。
「奇跡の学校改革を遂げた校長が「日本には女子校が必要」と訴える理由」より引用
24歳で結婚した当初は「子供は3人欲しい」と思ってたとのこと。しかし、改革に没頭し子供を産むということを想像する時間がなくなったそうです。現在ではそのことを後悔しているようですね…何かを得るためには何かを捨てなくてはいけない…という事でしょうか。
そんな思いがある漆紫穂子さんは50代の時に、夫に「本当は子どもがほしかった?」と聞いたそうです。夫は「初めのうちは、ほしかったけど、今はこれでよかったと思っている」と言ってくれたそうですが、漆紫穂子さんの心には申し訳ない気持ちが溢れたんだとか。
そんな経験がある漆紫穂子さんは、自分の生徒にそんな思いはさせたくないという気持ちで「28プロジェクト」というものを始めています。
「28プロジェクト」とは女性の人生のターニングポイントを「28歳」とイメージしてそこから逆算して教育するというもの。「キャリア教育」だけではなく出産や育児も視野に入れた「ライフデザイン教育」を意味しています。
自らの経験をバネに教育をより良くしていこうと邁進する漆紫穂子さん。素晴らしいの一言です。
また、改革を成功させた漆紫穂子さんですが「なんで男女共学にしなかったんだ?」と聞かれることがあるそうです。漆紫穂子さんは改革を進め、いろんな業種の人々と関わっていく中で「日本は、先進国の中で珍しいくらい女性が活躍していない」という現実を目の当たりにしました。
だからこそ、「女子校」にこだわり「女子に特化した教育」を行ったとのこと。社会で女性が活躍できるようにしたいとの思いから男女共学にしなかったそうです。
漆紫穂子さんの著書紹介
漆紫穂子さんは本も出版されています。危機的状況からの改革を成功させた方の本ですのできっとあなたのためになると思いますよ。興味のある方は下に紹介しておきますのでチェックしてみてください!
アマゾン:「伸びる子の育て方 」より引用
アマゾン:「働き女子が輝くために28歳までに身につけたいこと」より引用
アマゾン:「女の子が幸せになる授業-28プロジェクト」より引用