筒井宣政の経歴や学歴とは?娘を想う父の物語〜※下町ロケットのモデル※
「医療の未来を切り拓く挑戦者たち スペシャル」より引用
「奇跡体験アンビリーバボー」に出演することで今話題の筒井宣政さん。筒井宣政の経歴は下町ロケットのモデルにもなったそうです。
今回はそんな筒井宣政さんの経歴や学歴、娘さんとの物語などについてチェックしていきたいと思います!
筒井宣政の経歴や学歴とは?
筒井宣政さんのwikiプロフィール
名前 | 筒井宣政(つつい のぶまさ) |
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出身 | 愛知県名古屋 |
生年月日 | 1941年生まれ |
年齢 | 77歳 |
学歴 | 東海高校卒業 関西学院大学経済学部卒業 |
主な経歴 | 東海高分子化学株式会社入社 東海高分子化学株式会社代表取締役就任 株式会社東海メディカルプロダクツ設立・代表取締役就任 株式会社ヴァーユ設立・代表取締役就任 株式会社東海メディカルプロダクツ・代表取締役退任・会長就任 |
筒井さんは愛知県名古屋市で生まれました。東海高校に入学し、卒業後は関西学院大学経済学部へ進学。関西学院大学経済学部の偏差値は60ぐらいですので、頭が良かったようですね。また、近畿地方の難関私立大学を示す通称が「関関同立(かんかんどうりつ)」といい、関西学院大学はその一つに数えられています。
そして、大学を卒業した筒井さんは「東海高分子化学株式会社」という小さな町工場に入社。ストロー・パイプ・テープ・ホースなどプラスチック樹脂の加工製品を作る仕事をしていました。入社から約20年後の昭和57年6月にはこの会社を受け継ぎ「代表取締役」に就任。
しかし、受け継いだ時に会社に借金がありました。その金額はかなりのものでその当時の会社の売上から返済期間を計算すると約72年もかかる計算だったそうです。ちなみに年間の売上は4000~5000万円ほどで利益は200万円ほどしかなかったそう。決して儲かってるとは言えない状況ですね。
そんな状況を打開すべく、筒井さんが始めたのが「アフリカ女性向けの塩化ビニル製の髪結いひも」をアフリカで売るというもの。知り合いの商社マンにこれをすると儲かると言われたそうなのですが、これが大当たり。
アメリカで爆発的ヒットを記録して、年間売上が1憶2000万円までに伸びて、72年かかる予定だった借金がわずか7年で返済することができたようです。すごいですね。敏腕社長だったのですね!
しかし、筒井さんの経歴はこれだけではありません。筒井さんは結婚して奥さんがいるのですが、3人の子供もいます。そして、1968年に生まれた次女は生まれつき心臓疾患だったんです。
次女の佳美さんの心臓病は心臓が正常に血液を流す事ができなくなってしまうという難病「三尖弁閉鎖症」というものです。そんな娘さんを助けてあげたい筒井さんは、佳美さんが7才の頃に借金を完済し、そこから手術費用として2年間で2000万円貯金しました。
この病気は9歳にならないと、心臓が小さすぎて手術はおろか検査もできないようです。なので、9歳になったタイミングで病院に行き手術を受けようとしますが、当時はこの病気に対する有効な治療法がなく「手術はできません」と言われていまいます。
そして、医者からは余命10年の宣告を受けてしまいました。それでもあきらめなかった筒井さんは主治医の一人だった東京女子医科大学の医師に「心臓病の研究のために2000万円を寄付する」と相談を持ちかけます。しかし、その数ヶ月後に意外な返答が帰ってきます。「人工心臓の研究をしませんか」というもの。東京女子医科大学は心臓疾患に関して権威的な存在だったのですが、私立の病院だったため国から研究費をもらうことができずに研究をすることができない状態だったそうです。
これをきっかけに筒井さんと奥さんの二人で次女の佳美さんを救うための研究がスタートしました。1981年に佳美さんを救うための会社である「株式会社東海メディカルプロダクツ」を設立。
「オレのトレンド」より引用
「娘を救いたい」の一心で研究に没頭します。そして、8年後に動物実験をするまでに研究は進んでいました。しかし、ここまででかかったお金はなんと8億円。動物実験は無事に成功したそうなのですが、次の壁が筒井さんの前に立ちはだかります。
それは、研究費用です。この研究を次のステップである人間による治験臨床をして厚生省の許可をもらうには1000億円がかかることが判明。こんなお金は当然なかったので、この研究は泣く泣く諦めるしかありませんでした。
でも筒井さんは諦めません。違う道を探していたところ「IABPバルーンカテーテル」というものに行き着きます。これであれば費用を抑えられて実験を続けることができたのですが、この器具では一時的に心臓の働きを助けることはできるものの娘さんを救うことはできない。
この事実を娘さんに伝えたところ「これからはその知識を病院で見かけた心臓病で亡くなる子供たちのために使って」という言葉が帰ってきました。
この言葉を受けて「IABPバルーンカテーテル」の開発をスタート。見事成功させた筒井さんの「IABPバルーンカテーテル」はどのメーカーのよりも優れ世界一機能が良いと評判に。バイオモデル学会で学会賞を5回も受賞されています。
製品化してからは一人で大学や病院をまわり営業しました。商品は好評で年間で800~1000本売れるようになったそうです。この時までは一人で製造も販売も経理を行っていた筒井さん。
しかし、1989年の筒井さんが48才になった頃には新聞で取り上げられたり、学会で表彰されたりしたのでいろんな人g協力してくれたり入社希望を出してくれたりしました。そして、現在の社員数はパートの方を合わせて200人もいるほど会社は大きくなりました。
年間販売数は世界で6500本、日本で3500本ほどあるそうです。会社は順調に成長していきました。問題は娘の佳美さん。この器具では助けることができませんでした。器具が売れるたびに「お父さん、また一人の命を救うことができたのね」と喜んでくれた佳美さんでしたが、1991年に23歳の若さで亡くなりました。
「オレのトレンド」より引用
佳美さんがなくなった後は、筒井さんが評議員を務める日本人工臓器学会で「Yoshimi Memorial T.M.P. Grant」というものを毎年開催。人工臓器で優れた論文や研究をしたひとを表彰して研究費100万円を贈呈しているそうです。
筒井さんの頑張りもむなしく佳美さんは亡くなってしまいましたが、筒井さんの研究は世界に貢献し多くの方を救うことができました。この物語は大ヒットドラマ「下町ロケット」のモデルにもなったそうです。「重い心臓弁膜症を抱えていた娘の死を契機に人工弁開発に没頭するようになった町工場の社長」という役が登場するのですが、このモデルが筒井さんです。
まとめ
きっと天国の佳美さんも筒井さんのことを誇りに思ってくれているでしょう。今でも筒井さんが開発した「IABPバルーンカテーテル」が世界の人々を救うたびに「お父さん、また人の命を救うことができたのね」と喜んでくれているはずです。
今後も医療が発達してより多くの佳美さんのような方々が救われることを祈っています。