垣内俊哉の経歴や学歴とは?奥さんや子供はいるの?年収はどれくらい?
「ガイアの夜明け」に出演されることで話題の垣内俊哉さん。重度の病気を持っており車椅子での生活を余儀なくされていることから「車椅子社長」と呼ばれています。今回はそんな垣内さんの学歴や経歴、年収、奥さんや子供さんなどについてチェックしていきたいと思います!
垣内俊哉さんの経歴や学歴とは?
垣内俊哉さんのプロフィール
名前 | 垣内俊哉 |
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生まれ | 愛知県安城市 |
出身 | 岐阜県中津川市 |
生年月日 | 1989年4月14日生 |
年齢 | 29歳 |
学歴 | 岐阜県立中津高等学校 中退 立命館大学 経営学部 経営学科 卒業 |
主な経歴 | Value Added Network 設立 株式会社ミライロ 設立 日本財団パラリンピックサポートセンター 顧問 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アドバイザー |
垣内さんは愛知県で生まれましたが、幼少期はお父さんの生まれ故郷である岐阜県中津川市で過ごしました。生後1ヶ月の検診後に両親が垣内さんの異変に気付き病院に行ったところ「骨形成不全症」が発覚。
「骨形成不全症」とは簡単に言うと骨が弱く骨折しやすい病気です。この病気には個人差があり、「全く骨折せず病気であることに気づかない」という軽度の方から「頻繁に骨折を起こしてしまう」という重症の方がいます。
残念ながら、垣内さんは重症の方に入り、幼少期から骨折しては入院し手術するという生活が続きました。そのため、怪我をするのが怖くなって、歩くことが嫌になり車椅子に乗るようになったそうです。
小学校の時は運動会やクラス会などのイベントごとが大好きで毎日が楽しい生活だったそう。しかし、大きなイベントの前など楽しみにいている行事の前には決まって骨折してしまうという辛い経験も。運動会前に骨折をした時は「怪我に負けない」と強い気持ちを持って運動会に参加し、垣内さんは太鼓を叩く役割だったので精一杯の力で太鼓を叩いたそうです。
このように小学校の時から負けん気のある諦めない性格の垣内さん。病気にも負けずに起業し、成功を勝ち取った垣内さんのルーツはこの時からなんですね〜諦めない性格だったからこそ今の成功があるのでしょう。
小学校の時は、時々歩いたりしていたのですが中学校の時には怪我が重なって筋力が低下し車椅子に頼りっきりになってしまったそう。そして、高校に進学した垣内さん。高校になると授業の移動が頻繁になります。その度に階段を登り降りしないといけないので、友達に移動を手伝って貰う必要があり「めんどくさいと思われるのではないか」と抵抗がありました。
そんな日々が続く高校では、常に友達の顔色を伺わなくてはいけない日々で、歩けない惨めに思えてしまったそうです。そして、「歩きたい」という思いが溢れてきた垣内さんは高校1年生の時に休学し、大阪で専門医の治療を受けることになりました。
治療を続けていく中で自分の弱さと向き合い「将来はもっとでっかい男になろう。誰にもできないでっかいことをしよう。」と思い起業を決心したそうです。そして、大学ではITか経営を学ぼうと思い立命館大学の経営学部を目指すことに。しかし、この時の垣内さんの偏差値は33で立命館大学経営学部の偏差値は57で絶望的。
でも垣内さんは諦めません。1年間の猛勉強の末見事合格。しかも、試験の前に車椅子で転倒し足を骨折していたので寝たきりで試験を受けて合格したそうです!!w
小学校の時からといい、大事な時に骨折してしまう垣内さん。気合が空回りしてしまうんですかね?w
ちょっと可愛いですよねw とにかく垣内さんの根性は凄い!!!!
立命館大学で経営を学びながら、大学で知り合った民野剛郎さんと共にValue Added Networkを設立。このころから色んな経営者の方々や応援してくれる方、事業に協力して頂ける方などとの出会いが増えて多くの学びを得たそうです。
そんな中で「自分のためだけに自分の時間を使うのではなく、誰かのためにも自分の時間を使おう」という考え方にたどり着いた垣内さんは、自分にできることを世界に広げ、それを通して社会に貢献していこうという思いで2010年の大学在学中に株式会社ミライロを設立しました。数々のビジネスプランコンテストに出場して獲得した300万円の賞金を資本金にしたそうです。
バリアフリーという言葉をご存知ですよね。この言葉は「障害を取り除く」という意味があるようです。しかし、本人が障害者である垣内さんは「建物のバリアフリー」「心のバリアフリー」などは大切なものだという前置きをおいた上で、人それぞれが持つトラウマやコンプレックス、障害は克服すべきものでもなければ取り除くべきものでもないと言っています。
それらは考え方や周りの人次第で「強み」や「価値」に置き換えることができるとの思いがあるそうです。バリア(障害)+フリー(取り除く)ではなく、バリア(障害)をバリュー(価値)に変えたいとの思いで「バリアバリュー」という言葉を提唱しています。
このような思いで株式会社ミライロを設立し、これを企業理念としています。
現在は自身が障害者であることを強みに、障害者や高齢者への接客研修ビジネスなどを行い評判を呼んでいます。また、大震災で全てを失った岩手県陸前高田市の復興コンセプトが「誰もが住みやすい街」で、垣内さんが町おこしのコンサルティングを担当しています。普通の人では気づけないちょっとした段差などについてなど垣内さんでしか気づけないところがあります。
このように、垣内さんは「障害を価値に変える」という道を作るために今も懸命に頑張っています。垣内さんには社会を未来を変えて、これらからの世界をもっとよくしていくために頑張ってもらいたいですね!!
垣内俊哉さん奥さんや子供はいるの?
奥さんや子供さんについては公表していないようですが、今はいないみたいですね。しかし、起業した理由についてこのように語っています。
コンプレックス克服のため、将来できる家族のため、といった理由でいずれ起業したいと思っていました。自分の子どもができたときに、車いすだからこそできることがあって、行けるところがあるという社会にしておきたいと思ったのです。
ビジョナリー :「“「車いすの視点」でバリアをビジネス価値に変える ”」より引用
このように将来できる子供について語っているので結婚願望はあるようですね。今は仕事づけで恋愛はお預けという感じなのでしょうか?
垣内俊哉さんの年収はどのくらい?
さて、垣内さんの年収についてですが、調べてみても出てこなかったです。なので、様々な情報を加味して予想してみたいと思います。まずは代表取締役社長を務める株式会社ミライロについて。
創業当初は苦労をしてなかなかうまくいかなったみたです。なので、ご飯を食べるのも大変で豆乳で空腹をしのんでいたのだとか。しかし、その後努力の末、会社は成長していき、2016年度の株式会社ミライロの売り上げは3億円です。なかなか儲かっているようですね!そして、従業員数は51名と結構多め。採用情報での初任給は18~30万円ほどみたいです。
これらの情報を踏まえて考えると、垣内さんの年収は1000万円は確実に超えているでしょう。まぁ、社長さんですし、会社も大阪に本社を構えて九州と東京に営業所があったりとどんどん成長して行っていますのでそれくらいはあって当然でしょう。
最後に垣内さんの逸話について。2013年に「みんなの夢AWARD3」にて最優秀賞を受賞した垣内さん。その賞金が2,000万円だったのですが、「私たちに必要なのは現金ではなく、雇用を作る2,000万円分の仕事」といい受け取りを断ったそうです!
すごいかたですね。もはやお金のために仕事をしているというレベルではなく、社会のため未来のために仕事をされているんですね…
かっこいいです。垣内さん、これからも社会のため、未来のために頑張ってください!