並里成の経歴や現在、年収とは?出身高校や現在の所属チームをチェック!
「【11月18日ハイライト動画】並里成が古巣相手に奮闘も、大阪が滋賀に競り勝つ」より引用
先日、2019年の「バスケワールドカップ アジア予選」の日本代表候補が発表され、その中に現在「滋賀レイクスターズ」に所属する並里成選手の名前がありました。
並里選手といえば高校時代は「ファンタジスタ」と呼ばれ、スラムダンク奨学金の第1期生に選ばれた男。今回はそんな並里選手のこれまでの経歴や現在、年収などについてチェックしていきます!
並里成の経歴や出身高校とは?
名前 | 並里成(なみざと なりと) |
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出身 | 沖縄県 |
生年月日 | 1989年8月7日 |
年齢 | 28歳 |
身長 | 172cm |
体重 | 72kg |
所属チーム | 2009-2011 リンク栃木ブレックス 2011-2015 琉球ゴールデンキングス 2015-2016 大阪エヴェッサ 2016.11- 滋賀レイクスターズ |
学歴 | コザ中学校 卒業 福岡第一高校 卒業 アメリカ プレップスクール サウスケントスクール留学(スラムダンク奨学金) |
主な経歴 | 2005年 ウインターカップ優勝(1年生:ベスト5) 2006年 U-18日本代表 2006年 ウインターカップ準優勝(3年生:ベスト5) 2006年 インターハイ ベスト4 スラムダンク奨学金 第1期生 bjリーグオールスターゲーム出場(2回) |
並座選手はバスケットボールの盛んな地域である沖縄で1989年8月7日に生まれます。沖縄がなぜバスケが盛んかというと、沖縄には米軍基地があるため、バスケが好きな黒人の方や白人の方が多くいるからだと言われています。そんなバスケが盛んな場所で生まれた並里選手は幼い頃からバスケットボールを始め、中学校の時には全国大会に出場しました。
高校はバスケの強豪校がたくさんあり、激選区と言われる福岡県の「福岡第一高校」へ入学。(福岡県代表になったチームは毎年のように全国大会で準優勝か優勝します。まぁ、ほとんど福岡大付属大濠高校か福岡第一高校ですがねw)
このころの並里選手の夢は「NBA選手」。英語でコミュニケーションをとったり2mを越す選手とのプレーするのに慣れておきたかったようで、セネガル人がいる「福岡第一高校」を選んだそうです。中学生の時点でこんなことを考えられるなんて当時から格が違いますね。
並里選手は中学の時に全国に名が知れていたので、福岡第一高校に入学した時は「福岡第一高校にどえらい選手が入ってきた!!」と福岡で話題に。県予選にもかかわらず、会場には並里選手見たさで多くのお客さんが入りました。
そして、その期待通りに並里選手は大活躍。1年生からスタメンで出場しチームの要としてウインターカップ優勝に貢献。1年生ながら類まれなるハンドリング、パスセンス、ゲームメイク能力を発揮しベスト5にも選ばれました。
当時の異名は「ファンタジスタ」。誰も想像しないようなプレー、パスをすることからこの異名がつきました。もし、興味のある方は並里選手のプレーを見てみてください。本当にすごいプレーしますからwww
並里選手を見に来た人たちは「次はどんなプレーをするんだ?」とワクワクしながら観戦していたものです。そして、ここでちょっと並里選手の4つの逸話をご紹介させていただきます。
まず、1つ目の逸話が「授業中の話」。並里選手は中学時代からすごいハンドリングで会場を沸かせていたのですが、問題が「右手でしかドリブルができない」ということ。このことを理解していた並里選手はドリブル練習に励みます。しかし、練習したすぎて高校時代は授業中に自分の席でドリブルしていたいそうですwww
まぁ、福岡第一高校は福岡でもかなりゆるい学校として知られているので、勉強はあまりしていなかったとは思いますが…授業中にドリブルしていたなんてねぇwあと、寝る時もボールを持って寝ていたそうですよ。
2つ目の逸話は「寮生活の待遇」です。福岡第一高校には全国から優秀な選手が集まってくるので、バスケ部は寮で生活する選手が多く、そのほとんどが2人部屋などの複数で生活しています。しかし、スーパールーキーとして入学した並里選手は入学時から1人部屋だったそうですwそれに加えて、部屋にテレビ付き。他の部屋にはテレビはなかったそうです。
3つ目の逸話は「練習の待遇」です。並里選手はNBAに行くことが夢で、その目的の通過点として福岡第一高校に入学しています。そして、並里選手が重要視していたのが「フィジカル面」です。体が大きいアメリカ人にも負けないような体を作るために筋トレは人の倍以上やっていたそう。
私は並里選手と同じ時期に福岡でバスケをやっていたので、何度も生で高校時代の並里選手のプレーを見ています。だからこそ言えるのですが、他の高校生より圧倒的にゴツかったですwいくら強豪校とはいえ、地区予選などで弱小校と対戦しなくてはいけないので、あまり練習とかを厳しくやってない普通の高校生とも試合をしていました。
その時の体格差がえぐかったのを今でもはっきりと覚えています。普通の高校生の3倍はありましたねw
ちょっと、話が逸れてしまったのですが、私が話したい逸話は「全体練習に参加せずに筋トレしていた」ということです。並里選手がNBAを目指していることを知っていた福岡第一の監督である井手口監督が許可して、ずっと筋トレしていたとのこと。筋トレが終わった後は鏡の前でドリブル練習をしていたそうですよ…
4つ目の逸話が「地鳴り事件」です。これは逸話というより私が生で並里選手のプレーを見た時に感じたことなのですが。並里選手がドリブルをするたびに会場で地鳴りが起きるんですwドリブルが強すぎて「ドーン!」と地震のような地鳴りがw
この逸話は私の友人に話しても「嘘だろ!」と笑われるのですが、本当なんですwもう本当に他の選手とはレベルが違って「怪物」のような存在感を放っていました。
まぁ、そんなこんなで当然のように「U-18日本代表」「ウインターカップ優勝」「ウインターカップ準優勝」「ベスト5」などの輝かしい成績を残していった並里選手。
その当時の映像を探したら、並里選手が高校3年生の時のウインターカップ決勝の動画と、1年生の時のウインターカップ福岡予選の決勝の動画を見つけましたので貼っておきますね!興味のある方はご覧ください。緑のユニフォームの「14番」が並里選手です。
高校3年生の時の並里選手
高校1年生の時の並里選手
高校を卒業する時にはその年に始まった「スラムダンク奨学金」の第1期生に選ばれます。スラムダンクの著者である井上さんが始めたもので「次世代のNBA選手を発掘する」という目的で作られたもの。これに選ばれると留学費用などを全て負担してもらえてアメリカにバスケ留学をすることができます。
これに選ばれた並里選手はアメリカの「プレップスクール サウスケントスクール」という学校に留学し、バスケの本場で経験を積みます。しかし、NBA入りすることはできませんでした。そのあと、日本に帰ってき並里選手はJBLリーグの「リンク栃木ブレックス」と契約し日本でプロのバスケ選手になります。
しかし、このチームには田臥勇太選手という日本人で初めてNBA選手となったスーパースターがいました。しかも、並里選手と同じポジションであるポイントガード。この年、リンク栃木ブレックスは見事日本一に輝きます。でも、このシーズンは田臥勇太選手が出場していて、並里選手はほとんど試合に出られませんでした。
なので、翌年にはリンク栃木と契約せずにNBAに再挑戦します。ですが、またもNBA入りは叶わず日本に帰国しましたが問題が発生します。日本のプロバスケリーグであるBJリーグに行きたかったのですが、すでにトライアウトが終わっておりどのチームとも契約ができない状態に。
そんな状況で諦めかけていた並里選手に救いの手が。bjリーグのコミッショナー河内敏光さんが特例として並里選手の加入を認めたんです。おそらく、「こんな素晴らしい選手を放っておくなんて考えられない」ということでしょうw
河内敏光さんのおかげで、並里選手は無事に地元沖縄を拠点とする「琉球ゴールデンキングス」に加入しました。そして、BJリーグにデビューした年である2011-12シーズンには全試合に出場し「琉球ゴールデンキングス」は日本一に輝きました。
この年の並里選手は身長175cmというバスケ選手としては恵まれない体格ながら、2mの外国人選手がゴロゴロいるゴール下へ果敢にドライブし、2mの選手を吹き飛ばして得点するなんてこともよくありましたw
身長175cmですが、両手でリングをつかむことをできる並里選手にとってはあまり2mの選手が恐怖ではないんでしょうね!
並里成の現在は?所属チームはどこ?
2011年にBJリーグにデビューし、その年に優勝した並里選手は2015年まで地元沖縄の「琉球ゴールデンキングス」に所属していましたが、2015-2016シーズンには「大阪エヴェッサ」に移籍。しかし、「大阪エヴェッサ」は1年で退団して、再度NBAに挑戦。しかし、またもNBA入りすることはできずに、日本へ帰国。
2016年からは「滋賀レイクスターズ」に所属しています。現在も「滋賀レイクスターズ」に所属しプレーしています。最近まではBJリーグとJBLリーグという日本には2つのバスケリーグがあるという謎の状況でしたが、現在は統合されて新たに「Bリーグ」というものになりました。
なので、並里選手の所属チームはBリーグの「滋賀レイクスターズ」となります。2017年シーズンの並里選手のプレーがある動画を見つけましたので貼っておきますね!青いユニフォームで金髪の「7番」が並里選手です。下の動画が始まって20秒あたりから並里選手が登場します。
NBAに何度も挑戦し失敗している並里選手ですが、今でもその実力は衰えていません。かつての「ファンタジスタ」という異名に恥じないプレーを見せてくれています。そして、現在は2019年の「バスケワールドカップ アジア予選」の日本代表に選出されています!
おめでとう!並里選手!いやー高校の時から見てきた選手が日本代表に入るなんて不思議な気持ちです。しかし、まだ登録メンバーの24名に選ばれただけであって、試合に出るためにはベンチ登録の12名に残る必要があります。んーーがんばれ並里選手!
しかし、並里選手に大きな壁が…なんと元NBA選手の田臥勇太選手も選ばれちゃったんですね〜しかし、田臥選手は現在37歳。これに対し並里選手は28歳。なんとか若さで田臥選手を凌駕して日本代表として世界で活躍してほしいですね!
並里成の年収や年棒はどのくらい?
さて、最後にそんな並里選手の年棒や年収について。現在、BリーグのB1での最低年棒は300万円となっています。B2では240万円です。「プロなのにそれくらいしかもらえないの?」と思う方もいるでしょうが、バスケはまだまだ日本でマイナーなスポーツですからね…こんなもんなんです。
そして、出来高払いについては「出場給5万円」「勝利給8万円」が上限として設定されているようです。ということは、「滋賀レイクスターズ」は現在、B1に所属していますので、並里選手の年棒は最低でも300万円以上はあるということになりますね。
まぁ、並里選手は人気のある選手ですので自身のユニフォームやグッズが売れたりすればその都度お金は入ってくるでしょうし、試合もほとんど出ているようなので年棒400万円以上はあるのではないでしょうか?月の給料で考えると毎月30万円ぐらいでしょう。
しかし、日本のトップ選手で大人気の田臥勇太選手は年棒5000万円ぐらいあるそうです!グッズが売れたりとかメディアへの露出も多くあるからでしょうね!
今後はもっとバスケが繁栄して選手たちの待遇が良くなることを祈ってます。